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名古屋地方裁判所 昭和45年(行ウ)16号 判決 1976年4月28日

原告

足木正吾

被告

名古屋法務局豊橋支局登記官

改田恒義

右指定代理人

樋口哲夫

外三名

主文

被告が昭和四四年九月二四日別紙物件目録記載の各土地についてなした各滅失登記処分を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

(原告)

主文同旨の判決。

(被告)

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

第二  当事者の主張

(請求の原因)

一、原告は別紙物件目録記載の各土地(以下、本件土地という)を共有(持分は右物件目録記載のとおり)し、その所有権持分取得登記を有している。

二、被告は昭和四四年九月二四日本件土地の滅失登記処分(以下、本件処分という)をなした。

もつとも、本件処分がなされた当時の本件土地の登記管轄は名古屋法務局田原出張所であつたが、昭和四五年四月二〇日法務省令第一三号「法務局及び地方法務局の支局及び出張所設置規則等の一部を改正する省令」により、同日、その管轄は同出張所から同法務局豊橋支局に変更されたものである。

三、しかし、本件処分は、その登記原因および日付を「年月日不詳海没」としてなされたものであるところ、本件土地は海没により滅失した事実が存在しないのにかかわらず、被告がこれを滅失したと認めてなした違法な処分であるから、取消されるべきである。

(請求原因に対する被告の認否)

一、請求原因一の事実のうち、原告が本件土地について登記簿上共有持分を有していたことは認めるが、その余は争う。

二、同二の事実は認める。

三、同三の事実のうち、本件処分がその登記原因および日付を「年月日不詳海没」とし、本件土地が海没により滅失したと認めてなしたものであることは認めるが、その余は争う。

(被告の主張)

一、本件滅失登記処分は、本件土地の共有者の一部の者から「登記原因及びその日付」を「年月日不詳海没」とした滅失登記申請がされたので、被告において秋分の日である昭和四四年九月二三日の満潮時に実地調査をなした結果、本件土地が海面下に没したことが確認されたので、同月二四日、申請どおり海没による滅失登記処分をなしたものである。

二、本件土地は、公有水面下の地盤であつて、私人の土地所有権が成立しないものである。

そもそも土地とは、日本領土全域の陸地を人為的に区分した一定の範囲を指称し、法令の制限内においてその土地の上下を包含する。そして土地は、所有権の客体たる物として取扱われるから私権の対象となりうるものでなければならない。しかし、公有水面は、公衆の使用に供されるもので、個人の独占を許さない公共用物であつて、公有水面埋立法一条、二四条の規定に照らし、私人の所有権の目的となり得ないものと解される。従つて、公有水面下にある地盤についても、公有水面の公共性の故に公有水面と同一体として公共物を構成し、私権の成立を許さないものとしなければならない。土地が公有水面下に没して公有水面下土地となつたときは、海面下の地盤そのものは物理的には土地であろうが、法的には公有水面と一体化し、その地盤は私権の対象物件たる土地の性質を失い、消滅したものと解すべきである。

現在海面下の地盤については、これを直接規律する法令がないので、公共用物として類似の河川についての現行法規を検討すると、現行河川法(昭和三九年法律第一六七号)二条は、一項において河川が公共用物であることを宣言し、二項において河川の流水は私権の目的とすることができない旨を規定している。従つて、流水が常時流れている流水敷は私権の客体となる土地としての支配を許さないものとして、法律上その土地が滅失しているものとみているのである。従つて、河川敷の一部に流水が常時流れるようになつてその部分が流水敷になつたときにおいては、不動産登記法は、河川管理者に対して地積の変更登記ないし土地滅失の登記を嘱託すべきことを義務づけているのである(不動産登記法八一条四項、八一条の八第二項)。私権の対象となる土地か否かについては「具体的な支配可能性」の有無を基準とすべきであるとする見解もあるが、支配可能性のあるものであつても、その物の性質によつては私人の独占的支配を許すべきではないものがある。そして、私人の支配を許すべきか否かは立法政策によつて決定されるものである。しかるところ、河川法は、右にみたとおり、流水が常時流れている流水敷は、技術的物理的には支配可能であつても、私人の支配を許さない公共的性格を有するものとして、所有権の目的たる土地とは認めていないのである。従つて、公有水面(水面下の地盤を含む)と河川との公共性を対比してみると、その間に差異はなく、公有水面(水面下の地盤を含む)は、河川と同様強い公共的性格の故に、私人の独占的支配が許されず、私権の成立を認めることができないものと解すべきである。

三、陸地と公有水面との境界線については、直接これを規定した法令の定めが存しないので、その境界線を定めるに当つては最も合理的かつ社会的妥当性のある考え方によつて一定の線を画す必要がある。従来の判例・行政実例においては、潮の干満の差のある水面については春分および秋分における満潮時の潮位を、その他の流水面については高水位を標準として定めるべきものとされている。右のように画一的に境界線を画するという方法は最も合理的であつて社会的妥当性を有するものである。もっとも、右の境界線は年間を通じて潮位が最も高くなる時点をとらえているが、それ以外の線に境界を画するとすれば、公有水面は私人が独占することを許さない公共物であつてこれが何らの障害もなく利用されることが必要であるにもかかわらず、公共の用に供される海面と、供されない海面とが生ずることになつて、その時点における海面の実体に合わないことになり、非常に不合理な結果が生ずることになるからである。

四、本件処分は、「登記原因及びその日付」を「年月日不詳海没」としている。本件土地は既に登記の時点において海面下にあつたことが明らかであるから、本件土地の登記は本来無効な登記であつて、この登記を抹消閉鎖するには登記原因を「不存在」または「錯誤」とすべきであつたかもしれない。しかし、登記原因及び日付がたとえ誤りであつたとしても、本件土地は既に公有水面下に没していたのであるから、その客観的事実をそのまま登記簿に公示し、閉鎖したもので、当該登記に誤りがあるということはできない。また、仮に本件処分に手続上の瑕疵があつたとしても、本件土地は公有水面下にあつて不動産登記法上の土地ではないのであるから、その登記の回復を期して処分の取消を求める本件訴の利益がないというべきである。

(被告の主張に対する原告の認否と反論)

一、被告の主張一の事実は認め、その余はすべて争う。

二、本件海面下の土地は、古来土地所有権の対象として取扱われてきたものであつて、原告はその土地所有権の承継取得者である。すなわち、

1 本件土地は、いずれも田原湾沿岸を形成する干潟の一部である。田原湾はその昔大崎村、大津村、杉山村、谷熊村、豊嶋村、吉胡村、浦村、波瀬村の八ケ村地先によつて構成されていたが、現在の行政区画によれば、それぞれ豊橋市大崎町、同市老津町、同市杉山町、渥美郡田原町大字谷熊、同町大字豊島、同町大字吉胡、同町大字浦、同町大字波瀬となる。

2 この干潟を形成する田原湾の干拓開発は、今から約三一〇年前の寛文年間に尾洲藩の附家老竹腰三信によつて手がけられた。その後、元禄年間に新田築造が行われ、天保五年甲午二月に尾張国名古屋鉄砲町の住人専一外三名の者が徳川幕府に対して田原湾の開発を願い出て許可されたが、完成せず廃絶したまま経過した。

3 安政五年戊午年に至つて、尾張国名古屋桑名町の住人堀田徳右エ門が田原湾沿岸ぞいの大崎村外七ケ村地先海面新開場大繩反別八八七町九反歩を幕府に土地代金として金三一両一分と永(楽銭)一四〇文を支払つてその所有権を取得したのである。そして右堀田徳右エ門は干拓を開始したが、僅かに干潟の両端に築提し湾内に少しばかりの畑地を開墾しただけで完成することができなかつた。

4 明治維新となつて、明治政府は地租制度の改正に着手し、明治五年二月二四日大蔵省達第二五号「地所売買譲渡ニ付地券渡方規則」をもつて地券制度を採用し、土地の売買譲渡の都度地券を発行することにした。そして同年七月四日大蔵省達第八三号をもつて、売買譲渡の場合だけでなく、全国一般に土地所有者に地券を交付することにした。そこで、堀田徳右エ門は幕府から田原湾の干潟の所有権を取得したものとして、明治七年七月二日に渥美郡谷熊村外七ケ村地先海面入江新開大繩反別一、三七八町歩余のうち用悪水堤塘敷道溝代敷地等四九〇町九反歩を差引いた新開反別八八七町九反歩(本件干潟)につき、当時の愛知県令鷲尾隆聚に地券の下附を願い出で、冥加金を上納して、同年同月四日に新開試作地として地券の下附を受けた。右地券は明治六年太政官布告第二七二号地租改正施行規則第一二則によつて下附されたもので、これにより堀田徳右エ門は現在の意味における所有権と全く同一の実質を備える排他的総括支配権を取得したのである。

5 堀田徳右エ門は明治七年七月四日に田原湾一帯の土地につき地券の下附を受けて以来、明治一一年七月にその一部を渡辺義之助に割譲し、明治一二年八月に他の一部を高須清三郎、石田彦七の両名に譲渡した。その後中村吉五郎、柴山権吉の共有を経て、明治一五年に各村地先の土地は各村の共有となり、村民により藻草魚貝類の採取に利用されてきた。そして、明治三一年七月民法が施行されるとともに民法施行法三六条によつて民法上の土地所有権となり、明治三二年二月不動産登記法の施行によつて、本件土地は同三三年四月一七日鈴木三津三郎、市川清吉の両名により「池沼」として土地登記簿に保存登記され今日に至つたものであり、その後の所有権が変更した状況は閉鎖登記簿謄本(甲第一号証の一ないし五)に記載されているとおりである。

6 そして、国は明治七年から大正一四年頃まで鍬下年季(地租免除期間の意)を許可してきたが、鍬下年季廃止後は本件干潟の地目を池沼として地租の徴収を開始してきたものであり、原告が昭和四二年八月一日売買により本件土地の所有権移転登記をなした際にも、愛知県東三河事務所長は原告に対し不動産取得税の課税を行つているのである。

7 また、本件干潟の一部の土地について、大正一五年一月二六日に大蔵省が昭和六年一一月一三日に愛知県が、昭和二九年八月二五日に田原町がいずれも当時の土地所有者に対しその共有持分の差押えをなしており、後二者についてその頃公売処分がなされている。

以上のとおり、本件土地については、明治七年の地券下附以降約一世紀の永きにわたつて私人の所有権の成立する土地として公に認められてきたものである。

三、本件土地は、公有水面に接続した干潟であつて、不動産登記法上の土地である。

1 民法八五条は「本法ニ於テ物トハ有体物ヲ謂フ」と定めており、ここに「有体物」とは「法律上の排他的支配が可能なもの」をいうのである。そして権利の客体たるためにはそれが経済的価値を有することを要するものである。本件土地は、時に海面下の土地となるが、干潮時には地表を現わす干潟の一部を形成しており、これが排他的総括支配可能でかつ経済的価を有する土地として長年認められてきたことは前述のとおりである。そしてまた将来においては、三河港臨海工業地帯として愛知県が施行者となり、埋立を行い、誘致事業に譲渡されて私有地として使用されることが予定されている。このように本件土地は、過去、現在および将来を通じて土地として存続するものであり、決して消失したものではない。

2 被告は、本件土地が公有水面下の地盤であつて私人の土地所有権が成立しない旨主張し、公有水面埋立法一条、二四条の規定を引用している。

しかし、公有水面埋立法一条によれば、公有水面とは「公共の用に供し且つ国の所有に属する河、海、湖、沼等の水流又は水面」をいうのである。本件土地は、前述の如く過去一世紀にわたり私権の認められている干潟であつて公共の用に供されておらず、また私人の所有するものであつて、国の所有に属するものではない。従つて、本件土地は公有水面ではなく、公有水面に接続した干潟であるから、この点においてすでに被告の主張は誤りである。

3 また、被告は、河川法の規定を引用して本件土地が私権の目的となりえない旨主張している。

しかし、河川の流水敷と干潟とは本質的に異なるものである。河川は山岳から海域に達する天然自然の治水区域であつて、これを私権の対象となし公権力の及ばない状態に置くことは、国家社会の荒廃に通ずるものであり、公共の福祉に著しく反することになる。水は社会生活にとつて不可欠のものであり、また豪雨等による災害の防止も古来国家の重要な責務とされるところである。これに対して本件土地は、右の如き河川と全くその本質を異にし、満潮時には公有水面より海水が侵入して公有水面に接続した水面となるが、干潮時には干潟となつて陸地となる土地であり、私人による具体的支配可能な土地である。従つて、河川と本件土地とを同視する被告の主張は失当である。

4 海面下土地における私権の成立は、現行法上も認められているものである。

公有水面埋立法一条は、前述の如く国の所有に属さない水流又は水面の存在を肯定している。また、海岸法一八条一項、六項、漁業法三条、四条、一三条一項四号においても、明らかに海面下の土地の私権の成立を認めているのである。

四、以上述べたところで明らかなとおり、本件土地は排他的総括支配可能性の存する区画された海面下の土地であつて、これを権利の客体である土地でないとする被告の主張は誤りである。従つて、原告を除く他の共有者のなした滅失登記申請は実体上の登記原因を欠き無効であるから、被告はこれを却下すべきであるのにこれを受理して本件滅失登記処分をなしたことは違法であつて、取消されるべきである。

(原告の反論に対する被告の認否)

原告主張の本件土地の取得原因については不知。

堀田徳右エ門が本件土地について取得したという権利は、土地所有権ないし土地の排他的総括支配権ではなく、むしろ公有水面埋立法上の埋立権に類似した一種の海面埋立権であつたにすぎないものである。

第三 証拠<省略>

理由

一原告が本件土地について登記簿上、別紙物件目録記載のとおり共有持分を有していたこと、本件土地の共有者の一部の者から「登記原因及びその日付」を「年月日不詳海没」とした滅失登記申請がなされたので、被告において秋分の日である昭和四四年九月二三日の満潮時に実地調査をなした結果、本件土地が海面下の土地となることが確認されたので本件滅失登記処分がなされたことは、当事者間に争いがない。

二秋分の日の満潮時において海面下となる土地が被告の主張するように私権の対象となりえず、従つて滅失登記をなすべきであるか否かについての判断に先立ち、本件土地の現状および沿革について検討すると、<証拠>によれば、次の事実を認めることができる。

1  本件土地は田原湾沿岸を形成する土地の一部であり、満潮時においては海面下となるが、日に二回の干潮時においては砂泥質の地表を露出するいわゆる干潟(汐川干潟ともいう)の一部であること。そして、右田原湾の潮の干満の差は最大約三メートルに達するものであり、秋分の日である昭和四四年九月二三日のほぼ満潮時において、本件土地の水深は0.69メートルないし1.93メートルであつたこと。この潮の干満の程度は現在も昔もあまり変りのないものであること。

もつとも、干潮時において、右干潟のすべての部分が水面より現われる訳ではなく、澪筋(ミオスジ)と呼ばれる細い川状の部分は依然として水面下に残ること。

2  この干潟を形成する田原湾沿岸一帯を外海とは別個の土地として干拓せんとの企ては古く江戸時代初期から存したことがうかがわれるが、これまで度々築堤、埋立工事が一部分でなされてきたものの、その大部分は往時のままで現在に及んでいること。従つて、本件土地は古来、海面下の土地として、主として海藻、貝類の採取場として利用されてきたものであること。

3  明治七年七月四日、堀田徳右エ門が当時の愛知県令鷲尾隆聚から本件土地を含む右田原湾一帯の土地(渥美郡谷熊村外七ケ村地先海面入江新開大繩反別一、三七八町歩余のうち用悪水堤塘敷道溝代敷地等四九〇町九反歩を差引いた新開反別八八七町九反歩。なお、当時の面積の表示は実際の五割位であつたという)について新開試作地として地券の下附を受けたものであること。そして、以来右地券が官に還付されたり、国より右土地の返還を求められたりしたことはないこと。

4  右以前の幕府時代のことについては、原告主張の如き各事実につきそれに添う記録、文書等の資料が存在しない訳ではないが、堀田徳右エ門が当初幕府から取得したという権利が原告主張の如き土地所有権ないし土地に対する排他的総括支配権であつたか否かは確定することができないものである。しかし、地券制度の趣旨、その手続等に鑑み、土地について地券の下附を受けた者は、特段の事情のない限り当該土地の所有権(民法施行後は民法施行法三六条により現在の土地所有権に移行)者と推認すべきものである。従つて、右堀田徳右エ門およびこれより後に譲渡を受けて所有権取得登記をなした者は右土地の所有権者(もつとも、海面下の土地についても所有権が成立することを前提としてであるが、この点は後述する)であるということができる。そして、本件土地は原告主張のとおり転々譲渡されて原告も共有者の一人となつたものであること。

5  本件土地は、登記簿上、地目を「池沼」として登記され、分筆登記され、所有権移転の事実が登記されてきたこと。

6  そして、本件土地について、国は明治七年から大正一四年頃まで鍬下年季を許可してきたが、鍬下年季廃止後は地租の徴収を開始し、固定資産税、不動産取得税等を徴収してきたものであること。現に原告は、昭和四二年八月一日売買により本件土地の所有権移転登記をなした際、愛知県東三河事務所長に対し不動産取得税を納付していること。

また、かつて本件干潟の一部の土地につき、大正一五年一月二六日に大蔵省が、昭和六年一一月一三日に愛知県が、昭和二九年八月二五日に田原町がいずれも当時の土地所有者に対しその共有持分の差押をなし、後二者についてその頃公売処分がなされていること。

7  本件土地等の水面につき漁業協同組合が漁業権の免許を受けるに当り、土地所有者等(大崎地区については大崎海面土地管理組合)の同意を要したのであり、また漁業権存続期間特例法(昭和三六年法律第一〇一号)一条にもとづく土地所有者の同意もなされていること。

8  明治初年頃、堀田徳右エ門と当時の大崎村外七ケ村との間の協議において、本件干潟の海面境界が絵図面で協定されており、以後現地においては境界杭が設置されてきたこと。昭和一一年頃の帝国市町村地図刊行会発行の図面にも各土地の区画がなされており、本件干潟の区画は明確にされていること。

9  本件土地を含む田原湾一帯の干潟について、昭和三九年頃愛知県は埋立を計画し、海面下土地の登記簿上の共有持分権者に対して任意に滅失登記申請をなすよう勧告し、任意に滅失登記した者に対し協力感謝金の名目で一坪当り二五〇円の金員が支払われていること。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、本件土地は、時に海水によつて覆われる海面下の土地ではあるが、干潮時にはその地表を現わす干潟の一部を形成し、明治初年頃より、区画された排他的総括支配の可能な土地として、転々譲渡され、あるいは固定資産税を支払うなど私人の所有権の対象たる土地として長年月の間取扱われてきたものであることが認められる。

三ところで、被告は、本件土地は秋分の日の満潮時に海面下に没したものであり、海面下の土地には私人の所有権は認められないから本件滅失登記処分をなした旨主張する。そして、陸地と公有水面との境界線は、潮の干満のある水面については春分および秋分の日における満潮時の潮位を標準として定めるべきであるとし、右標準によつて海面下となる土地は、公有水面埋立法一条、二四条、河川法二条、不動産登記法八一条四項、八一条の八条二項の規定によれば、現行法上、これに私権の成立を認めない趣旨であるから、滅失登記をなすべきものであるという。

そして、弁論の全趣旨によれば、海面下の土地の登記に関する法務省民事局の通達・回答として、

(一)  昭和三一年一一月一〇日民事甲二六一二号法務省民事局長事務代理回答。

(二)  昭和三三年四月一一日民事三発二〇三号法務省民事局第三課長事務代理通知。

(三)  昭和三四年六月二六日民事甲一二八七号法務省民事局長通達。

(四)  昭和三六年一一月九日民事甲二八〇一号法務省民事局長回答。

が出されており、被告のなした本件滅失登記処分も従来の右行政先例の見解に従つてなされたものであることが認められる。

四しかしながら、被告の右見解は当裁判所の採用し難いところである。

民法上「土地」とは、一定の範囲の地面に、正当な範囲においてその上下を包含させたものである。そして、土地が所有権の客体たるためには、それに対する人の支配可能性がなければならず、また支配価値(財産的価値)のあるものでなければならない。従つて、人の支配しえない大洋(海底地面を含む)などはこの意味で物(土地)ではないとされる。しかし、海洋であつても、一定の範囲を区画すれば人の支配しうるものとなるから、そこに財産上の価値を認めるかぎり、その海面は物とみることができ、その地盤についても同様に土地として所有権の成立を認めうるものと解すべきである。すなわち、外形的物理的に海面下に没した土地であつても、財産上の利益を支配しうるかぎりにおいて、そこに所有権の成立を容認すべきであり、これを法律上の「土地」というに妨げないものである。

もつとも、「土地」について私権の成立を認めるか否かは立法政策の問題であつて、時の法制度いかんによる訳であるから、満潮時において海面下となる地盤について私人の所有権を認めるか否かは現行法がいかなる規律をしているかによつて決まることといつてよい。その場合、右海面下の地盤も民法上の「土地」であることは前述のとおりであるから、現行法律制度が明確に私権の成立を否定していると解せられないかぎり、これを肯定的に解するのが相当である。

海面下の土地について、陸地との境界の基準ならびにその所有権の帰属関係等につき明確に定めた法律は、現在のところ存在しない。被告は、公有水面は、個人の独占を許さない公共用物であつて、公有水面埋立法一条、二四条の規定に照らし私人の所有権の目的となり得ないものであるから、その地盤についても公有水面の公共性の故に公有水面と同一体として公共物を構成し、私権の成立を許すべきではないと主張する。しかし、先ず、公有水面埋立法にいう公有水面とは、(イ)公共の用に供すること。(ロ)国の所有に属すること、の二つの要件を具備した水流または水面を指称する概念であることは同法一条一項の法文上明らかであつて、右以外の水流または水面は公有水面に含まれないものである。すなわち、私人の土地上の水面や公共の用に供されていない水面は同法にいう公有水面とはいえない。それで、公有水面埋立地の所有権取得について定めた同法二四条の規定も、右のような国の所有に属する公有水面についてのみ適用され、意味があるのであつて、私有地を埋立た場合に同条の適用のないことは当然である。従つて、公有水面埋立法一条、二四条の規定を援用する被告の右主張は、海面下の土地が既に国の所有に属するものでありかつ海面が公共の用に供されることを前提とするものであつて、本件に適切でなく、採ることができない。もつとも、被告のいわんとする趣旨は、一般に海面は公共の用に供されるものであるから、その地盤についても当然制約を受け、私権の成立についても制限を受けるべきであるというのであろうが、海面が公共の用に供されることと、その地盤の所有権の有無とは切り離して考えられるのであり、私人の土地の上に公共用物が存するからといつて、地盤である土地の私所有権を否定すべき理論的必然性があるとは到底考えられない。地上の公共用物が将来消滅したり公用廃止になることも十分考えられるからである。そこで、海面下の私人所有地は、一般に、自然公物たる海水が存することによつて一般に、自然公物たる海水が存することによつて一種の公用負担を負つている土地と考えることができるのであり、海面下の土地の所有者は、その海面が公共の用に供される範囲においてその海面を独占できないだけである。あるいは、海岸法により海岸管理上の規制を受ける場合があるというにすぎない。もし、私人が貯水場、養殖場等にする目的のために所有地を取崩して人工海面下土地としたときは、その海面は公共の用に供されない場合が多いであろうから、私有水面として公用負担のない完全な土地所有権を認めるべきである。公有水面以外の海面(私有水面)の存在しうることは港湾法四条二項、海岸法三条、漁業法三条、一三条四項、公有水面埋立法一条等の諸規定の解釈からもこれを認めることができるのである。

次に、旧河川法(明治二九年四月八日法律第七一号)三条は「河川並其ノ敷地若ハ流水ハ私権ノ目的トナルコトヲ得ス」として河川の敷地について私権排除の規定をおいていた。従つて、河川敷との均衡上、海面下の地盤についても私権の成立を否定することは一理あつたといつてよい(被告援用の前配先例はいずれも旧河川法当時のものである)。しかし、右旧河川法三条の適用されたのは河川法上の適用河川についてであつて、準用河川・普通河川については適用がなかつたと解されるのであり、また、河川と海面とは種々の点で異なり同一視できないものである(なお、前認定の本件土地のように、古くから私所有権の対象と認められてきた土地について私権制限立法をなすときは、憲法二九条三項の正当補償の問題も生じよう。ちなみに、旧河川法においては、河川敷の従前の所有者であつた者に対して、河川敷地占有許可ないし補償金の下付、廃川敷地の下付などの補償規定がもうけられていた)。さらに、旧河川法は昭和三九年に改正され、改正河川法二条二項は「河川の流水は私権の目直となることができない」とのみ規定し、むしろ河川の敷地について私権の成立を認めていることが明らかである。河川法は、河川の敷地に私権を認めることと河川の管理とは両立しえないものでなく、私権の行使が公共用物である河川の管理に必要な限度で制限されることで足りるとして、私権排除の規定を設けなかつたものと解される。従つて、現行河川法は河川の敷地につき私所有権その他の財産権の目的となりうることを認めるものであり、その理は海面下の地盤についても同様に私所有権の成立を認めさせるものであるといえるのである。そこで、右の見解に従うときは、不動産登記法八一条四項および同法八一条の八第二項に「河川区域内の土地が滅失したとき」とは、単に河川区域の一部分が流水敷になつた場合ではなく、流水が常時流れることになり人による支配可能性、財産的価値を喪失したと認めるべき場合をいうと解すべきことになる。いずれにしろ、海面が常に公共用物であり、海水が私権の目的となりえない旨の規定の存在しない現行法律制度のもとでは、被告主張の如く河川法の規定を海面下の土地にたやすく準用することは妥当性を欠くものであるといわなければならない。

民法上「土地」は陸地と同義でなければならないものではなく、また陸地は常に公有水面と接続していなければならない必然性は認められない。これを形式的画一的に陸地と海面とに分け、海面下の地盤をすべて法律上の土地と認めない考え方は現行法上採用することができないものである。

五以上述べたところで明らかなとおり、海面下の土地も私所有権の対象となりうるものであり、それが海没により法律上滅失したとみるべきか否かは、単に春分秋分の日の満潮時に海面下の土地となるか否かによつて決すべきではなく、当該土地が海面下となつた経緯、現状、所有者等の意図、科学的技術水準などを総合老慮して、その支配可能性、財産的価値の有無を判断したうえで「滅失」と評価できるか否かによつて決定しなければならないと解すべきである。

これを本件についてみるに、前記認定のとおり、本件土地は干潮にはその地表を海面上に現わすいわゆる田原湾干潟の一部であり、右干潟は、他の海面とは明確に区画区別されて、明治七年七月四日堀田徳右エ門が当時の愛知県令鷲尾隆聚から地券の下附を受けて以来約九〇年の間、登記簿上には地目を池沼として登記され、それが分筆登記されて転々売買譲渡され、差押公売処分に付され、多数の人が実測をなし、絵図面・地図を作成し、地租・固定資産税を支払うなど種々私人の所有権の存する土地として取扱われてきたものであり、さらに本件処分のなされたころ本件土地の埋立を企図した愛知県より滅失登記の申請者に対して一坪当り二五〇円の割合の金員が支払われているのであつて、右事実関係から明らかな如く、本件土地は排他的支配可能性、財産的価値のある土地であることが十分に認定できるのである。右のような支配可能性、財産的価値が存し、私権の対象となるべき土地を、海没により滅失したとした被告の見解判断は誤りであつて、これを原因とする滅失登記は無効であるといわなければならない。従つて、原告を除く一部共有者からの滅失登記申請は実体上の登記原因を欠く無効なものであり、これを却下しないでなした被告の本件滅失登記処分は違法であつて取消をまぬがれないものである。原告の主張は理由があるというべきである。

六よつて、原告の本訴請求は理由があるので正当としてこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(山田義光 窪田季夫 小熊桂)

物件目録

一、豊橋市杉山町字中瀬一番二

池沼 一一、九〇〇平方メートル

二、同町字石塚一番三

池沼 一八四、七八〇平方メートル

三、同所一番四

池沼 一六、三〇七平方メートル

四、同所一番五

池沼 一三八、八四二平方メートル

五、同所一番六

池沼 九、〇六一平方メートル

右各土地についての共有持分はいずれも一〇〇分の一。

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